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しびれていたい

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買ったばかりの小説を持って

開店したばかりの朝のカフェで

コーヒーをゆっくり飲みながら

非現実の世界の中を泳いでいたい

荒波のようなメタファーに溺れて

朝っぱらからしびれていたい

 

まぶたを閉じた暗闇の中で

眠れない夜の無音の中で

僕の開きっぱなしの両耳に

大きなヘッドフォンをつけてほしい

迷路のようなポリリズムに迷い込んで

朝が来るまでしびれていたい

 

そんな小説がどこにもないなら

そんな音楽がどこにもないなら

僕の心の見えないところに

強めの麻酔を打ってほしい

痛みもざわめきも感じなくなって

朝から晩までしびれていたい

正しいひとへ

どうしても僕は首を縦に振れない

どんなに正義を振りかざされても

 

どうしても僕は聞く耳を持てない

どんなに面白おかしく話されても

 

他人の悪口を言う人はきっとどこかで

僕のことも悪く言っているんだろう

一緒になって笑えない僕のことを

 

あなたはどれほど正しい人間なのか

あなたはどれほど優れた人間なのか

 

あなたの正しさを僕に教えてほしい

あなたの正しさが僕にはわからない

 

ひそひそ陰口を叩く人はきっとどこかで

自分のことを恥じているんだろう

はっきりとものを言えない自分のことを

 

あなたはきっと知らないのだろう

そのとき周りがどんな気持ちでいるのか

そのとき自分がどんな目をしているのか

 

あなたが他人を悪く語るほどに

あなたが他人を馬鹿にするほどに

誰もあなたを信じなくなることも

 

自分でも気がつかないうちに

あなたは誰かの心をえぐって

それを食べて今日も生きている

 

自分でも気がつかないうちに

あなたは自分の心までえぐって

その痛みを抱えて今日も生きている

脳内大掃除

頭の中がゴミ屋敷のようになっています。仕事でやるべきこと、勉強でやるべきこと、何をやるべきかわからないけどどうにかしなきゃと思っていること、その他もろもろのこと。TODOの散乱。足の踏み場がなくて、なんとも落ち着かない脳内です。

優先順位をつけて、ひとつひとつやっていくしかないですね。それはわかっているのですが、気持ちばかりが焦ってしまいます。ときどき、自分でもびっくりするほどの大きなため息が出てしまいます。

「まあいいか」と「なんとかなる」で大抵のことは鎮まってくれます。世の中は「まあいい」ことと「なんとかなる」ことで溢れ返っているみたいです。そのことを思い出せるときと、思い出せないときがあります。

脳の整理は睡眠中に行われているんですよね。散らかった僕の脳内は、早急に整理が必要だったみたいで、最近たっぷりと眠っています。やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、起きていられない。でも眠りも大切ですよね。おやすみなさい。

図太くなりたい

図太くなりたい

堂々としていたい

もっと鈍感でいたい

心臓に毛を生やしたい

どっしりと構えていたい

どんな状況でも楽しみたい

いちいち動揺しないでいたい

他人の目を気にしないでいたい

他人の評価を気にしないでいたい

何を言われても笑い飛ばしたい

いつも笑顔を忘れずにいたい

雨の日も上を向いていたい

風の日も穏やかでいたい

明日を恐れずにいたい

新しい朝を喜びたい

昨日を肯定したい

図太くなりたい

文化系の独白

Gが嫌いです。心の底から嫌いです。消えてなくなってしまえばいいのにと思っています。ごめんなさい。その言葉を耳にするだけで、鼓動が早くなったりいやな汗をかいたりします。なんでこんなにいやなんでしょう。好きになれたらどんなにいいでしょう。たぶんこれが今生きていていちばんのストレスです。

Gのせいで、今後僕の人生が大幅に狂う可能性があります。そうなったらそうなったで、仕方ないのかもしれません。僕にはどうしようもないことです。

同じように嫌いだっていう人も中にはいるのでしょうが、特に僕の職場では僕以外の人はみんな好きみたいです。恐ろしいことに、職場の恒例行事になっていて、年に数回、僕も強制的にやらされます。やらないと責め立てられるので。そのたび、心身ともに激しく蝕まれます。みんなの視線といらいらを痛いほど感じるのです。

試験のあとにGが控えていたことがあって、そのせいで試験前日に39度の高熱が出て、当日も熱が下がらず、ふわふわした頭で受験して、そのあと病院に直行して点滴を受けたということもあります。また、Gの日の朝、集合場所へ車で向かっていたら、突然胸の辺りに激しい痛みを覚え、呼吸すらままならなくなったなんていうこともあります。

そもそも、運動自体が苦手なんです。好きではないんです。やることも見ることも。うまくいかなくたって、悔しくもなんともないんです。昔からそうなんです。競争したくないんです。学校を卒業したら、体育ってしなくていいものと思っていました。そうではなかったみたいです。残念です。

みんなで何かひとつのことをするということもあまり得意ではないみたいです。社会性がないと言われてしまえば、それまでなんですが。そんな人間なんです。諦めてください。

叶わない願いではありますが、あの素敵な大自然の中で、吐き気を催すようなことはもう二度としたくないです。

下北沢の亡霊

昨日、下北沢のカレー屋さんに行ってきました。僕も妻も好きなカレー屋さんで、家から下北沢まで少し距離はありますが、カレーが食べたくなるとたまに車で行きます。「パンニャ」というお店です。

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いつもはお店の近くの駐車場に停めるのですが、昨日はそこが満車で、少し離れたところに停めたので、久しぶりに下北沢の街を歩いたんです。そうしたら、いろいろと思い出すことがありました。

下北沢。

僕が22歳から3年間過ごした街です。夜中までバイトをしたり、バンドの練習をしたり、ライブをしたり、そんな生活を送っていました。

世間一般の人達はもう就職している年齢だったので、年下の、主に大学生と一緒にバイトをするというのは、あまり居心地のいいものではなかったですね。もちろん、文句を言える立場ではないのですが。

そんなバイトをしながら続けていたバンド。その頃は、日常的に、呼吸をするように詞や曲を書いていました。音楽は昔から好きなので、演奏すること自体は楽しかったのですが、いろいろとうまくいかないことも多くて、そこまで本気で情熱を注ぐこともできず、中途半端な形で終わってしまいました。バンドマンだった自分の影は、今も下北沢でふらふらとさまよっているのかもしれません。

住んでいたアパートは、陽が当たらなくてカビだらけでした。押入れに服を入れておくと、カビで真っ白になります。いろんなところが常に湿っていました。もう一度あそこに住めと言われたら、ちょっといやですね。

思い出してみると、今ここで語るのをためらうようなこともいろいろあって、僕の下北沢時代は多くの部分が暗い色で塗られています。濃い3年間でした。いろんなことが変わりました。そこを通り抜けて、今があります。

昨日、一番街を歩きながら、10年前にもこんなふうに、妻と並んでこの道を歩いていたんだろうなと、ふと思ったのでした。そのとき彼女の隣を歩く僕は、今とはまるっきり違う人間でした。でもそれはただ僕が思っているだけで、実際はほとんど変わっていないのかもしれないなと、心のどこかで思ったりもして。

タイムマシンに乗せられて

タイムマシンに乗せられて

いつかどこかの景色の中に

ふいに投げ出されたとしても

僕は帰ってくるだろう

 

そこには若い父と母がいて

まだ何も知らない僕がいて

靴底はすり減っていなくて

まだノートは真っ白のまま

 

いろんな人と出会い別れて

いくつもの岐路を通り抜けて

激しい雨風にさらされても

僕は帰ってくるだろう

 

同じところでつまずいて

同じところで怪我をして

同じ傷跡を作りながら

同じ道を歩いてくるだろう

 

今が正しいか間違いかなんて

誰にも答えはないけれど

自分の足で歩ける道を

明日も歩いていくだけだろう

 

あの頃には戻れないけど

あの頃には戻らなくていい

きっと繰り返すだけだから

またここに帰ってくるために

 

曲がりくねったレールの上を歩くように

道端に落としてきた石ころを拾うように