誕生日おめでとう

今年の1月、僕は35歳になりました。結構生きました。

2月には、税理士になりました。仕事をする上でほとんど変化はありませんが。

そして3月。

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父親になりました。女の子の父親に。待望の第一子が誕生したのです。

2018年8月2日

税理士試験を1週間後に控え、僕は職場に試験休みをもらって、朝から晩まで家で勉強をしていました。これまでの受験生活の中で、いちばん勉強をしていたと思います。法人税法と固定資産税。1月に固定資産税の勉強を始めたときは、2科目受験が無理そうだったら直前に法人税法一本に絞ればいいという気持ちでしたが、幸いにも「無理そう」という感覚が訪れないまま直前期を迎えることができました。このペースを維持したまま本試験を迎えたい、そんな思いで勉強をしていた日のこと。これまで数えきれないくらい何度も我々に悲しみを与え続けてきた妊娠検査薬が、ついに陽性反応を示したのです。妻のお腹に、僕達の子供がやってきてくれたのです。

以前から不妊治療をしていましたが、なかなか結果が出ず、その頃僕達夫婦は一旦治療をお休みしていました。不妊治療をやめたら自然に赤ちゃんができたって話を聞いたことがありますが、まさか自分たちもそうなるとは。

その知らせを聞いて、その日からの残り1週間の勉強に変化はあったか? 恐らく、なかったと思います。もう既に、自分にはこれ以上できないというくらいの勉強をしていたのです。なぜ、その年はそんなに頑張ることができたのでしょうか。そろそろ生まれたいから、早く試験勉強なんて終わらせてよ、という未来の我が子からのメッセージを受信していたのでしょうか。もしかしたら、そうなのかもしれないですね。

2018年10月6日-7日

赤ちゃんが生まれる前に、二人での最後の旅行をしました。結婚9周年のお祝いも兼ねて。

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部屋が離れになっていて、薪ストーブのある旅館でした。
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結構お腹が大きくなってきたなあと、この頃は思っていたんですが、今思うと全然まだまだですね。
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チェックアウト。旅館の入口にて。
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2018年10月21日

子供ができたのを機に、軽自動車から普通車に乗り換えました。子供を軽自動車に乗せるのは、不安な気がしたんです。

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2019年1月25日

万が一妻やお腹の中の赤ちゃんに何かが起こったたときに、酔っ払っているから車の運転ができない、なんてことになってはならないと、いつからか僕は家でお酒を飲むことをやめていました。ただ、運悪くその日はお客さんの社長と飲み会の約束が入っていたのです。僕の合格祝いも兼ねて。普段は飲みの約束なんて滅多にないのに。

飲み会の真っ最中、妻からタクシーで病院に向かっているというメールを受け取りました。お腹の張りがずっと続くため病院に電話をしたら、すぐに来てくださいと言われたようです。飲み会の最中、「なんで今日に限って……」と悔しい気持ちでいっぱいで、社長の話なんてほとんど上の空で聞いていました。ばれていないといいのですが。でも僕はそんなに器用ではないので、怪しいですね。ばればれですね。

しばらくして再び妻からメールが入り、今日から入院になったことを知らされました。そのまま産休に入るということも。このところ妻は仕事が忙しく、よく残業をしていました。驚くほど遅い時間に帰ってきたこともありました。そのせいで切迫早産の可能性が高まり、病院での絶対安静を余儀なくされたのでした。僕は普段あまり怒りを覚えることはないのですが、妊婦にそんな残業をさせた妻の会社に対して、そのときは確かに怒りを覚えていました。

妻が入院してからすぐ、不思議と僕の体調も悪くなっていきました。1週間ほど39度台の高熱が続き、悪寒でガクガク震えながら職場に通っていました。風邪だったのかインフルエンザだったのか今となってはわかりませんが、ちょうどその期間妻と離れて暮らしたことで、妻とお腹の中の子供をウイルス的なものから守れたのかもしれません(毎日のようにお見舞いには行っていましたが、マスクをして距離を置いて会話をしていました)。

妻は十日ほどで退院し、その後は自宅にて絶対安静となりました。

2019年3月22日

自宅で安静にしていたことで、お腹の中の赤ちゃんはすくすくと成長していました。 それはもちろん喜ばしいことなのですが、妻の体は小さくて、あまり赤ちゃんが大きくなりすぎてしまうと出産が大変だということで、3月22日金曜日の夜から入院し、計画出産をすることになりました。その日僕は早々に仕事を切り上げ、妻のリクエストで吉野家の牛丼(小盛)をテイクアウトして帰り、入院前最後の食事を二人でとりました。

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これは、お腹の大きな状態を写真に納めておこうと撮ったものです。後ろに小さく、Björkの「Vespertine 」というアルバムが写っています。子供の名前を決めたときに、その名前の響きからこのアルバムのいくつかの曲(特に6曲目の「Frosti」)が僕の頭の中で鳴っていて、それで最近よく聴いていました。妻も家でよく聞いていたみたいです。我が子のテーマソングですね。

夜の8時に病院に着くと、まず妻は人工破水の処置を受けました。翌朝6時から促進剤の点滴を打つそうで、僕は6時半頃にまた病院に来ることにして、その日は一旦帰りました。

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2019年3月23日

5時39分。妻からの電話で目が覚めました。陣痛が始まっているので、もう来てほしいとのこと。慌てて病院に向かうと、妻は陣痛室で横になって、促進剤の点滴を受けていました。話を聞くと、昨夜11時頃から陣痛が始まっていて、ほとんど眠れずに一人で痛みに耐えながら朝を迎えたそうです。僕はやり方を教えてもらいながら妻のお尻にテニスボールを強く押し当て、陣痛に耐える妻をサポートしました。痛みには波があり、その波に合わせてテニスボールを押し当てる強さを調整しました。痛みを分け合うことができたならと思いましたが、そんなことは当然できるはずもなく、少しでも役に立ちたいという思いで、つりそうになりながらもテニスボールを強く押し当てていました。ぷるぷる震える手で。

7時40分くらいだったでしょうか。助産師さんに案内され、分娩室に移動しました。妻は分娩台の上で仰向けになりました。冷静に助産師さんの指示を聞いていました。いきんだり、いきみ逃しをしたり。もっと壮絶な雰囲気を覚悟していたのですが、妻は大きな声を上げることもなく、痛みに向き合って必死に無言で耐えているという感じでした。助産師さん達も院長も、皆穏やかで落ち着いた雰囲気でした。助産師さんが、妻のことを我慢強いと褒めていました。いきむのが上手だとも、感心して言っていました。

僕は妻がお腹の方を見ていきむ際、枕の下から頭を支えました。僕にできるのは、そのくらいのことでした。3回くらいいきんだとき、赤ちゃんの頭が見えてきました。しっかりと髪の毛の生えた黒い頭でした。人から人が出てくるという初めての光景に、僕は思わず「おお……」と声を漏らしてしまいました。そしてもう一度いきんだとき、赤ちゃんが出てきました。赤ちゃんは元気な産声を上げていました。分娩室に入って30分弱でした。陣痛開始からだいたい9時間。初産婦の平均時間からすると短い方で、安産と言っていいと思います。

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へその緒は妻が切りました。そのまま赤ちゃんは妻の胸元に抱かれ、その後助産師さんによる赤ちゃんの計測が行われました。

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37週と4日での出産となりましたが、体重は3,000グラムを超えていました。

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僕も自分の腕にその小さな体を抱いてみました。それは生まれたての、か弱い命でした。上手く言えませんが、「守らなくては」という感情が自然と胸の内から湧き上がってくるのを感じました。そのとき少しだけ、父親になる方法がわかったような気がしました。

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八王子でASKAを観た

※セットリストなどについて書いていますので、ご注意ください※

2月6日。仕事をさっさと切り上げ、八王子に向かいました。オリンパスホールでASKAのコンサート、ツアー初日です。2か月前の12月6日に国際フォーラムでシンフォニックコンサートを観たばかりでしたが、今回はバンドだということで、また観に来てしまいました。本当は妻と二人で来るはずだったのですが、現在身重であり、先生に絶対安静と言われているため、来られず。残念。

会場に着いて、グッズなどをちらりと見て、自分の席へ。思っていたよりステージが近くて感激。

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開演前のSEは、後からASKAのブログで知ったのですが、東京オリンピックのために書かれたあの曲だったのですね。勝手にテレビで流されてしまった、あの曲。初めて聴いたので全くそれとは思わず、聞き流してしまいました。その曲がだんだんと音量が上がって盛り上がり、壮大になるにつれ、客電がだんだんと暗くなっていき、曲が終わった途端、垂れ幕がさっと無くなりました。ASKA、バンドメンバーが既に定位置にいて、1曲目「未来の勲章」が始まりました。一斉に立ち上がるお客さん。これは盛り上がる演出ですね。サビでは、MVと同じように体を左右に揺らしながら歌っていました。国際フォーラムで観たときは風邪で全然声が出ていなかったのですが、今日は大丈夫そう。良かった。妻も連れてきたかった。そのまま間髪入れず「ONE」へ。BPMがだいぶ速く感じたのは気のせい? 乗りやすくて良かったです。ああ、やっぱりバンドはいいなあと思いました。3曲目は「明け方の君」。まずコーラスの二人とアカペラで「君は心で 君は遠くで 綺麗な人で」の部分を分厚いハーモニーで歌い、決め台詞「待たせたね」を挟み込み、イントロが始まりました。サビのコード進行など、『君の知らない君の歌』バージョンですね。『TREE』の方に慣れていると、若干違和感あり。でもどちらにしてもいい曲です。そして、MC。お客さんに座るよう指示(ここで座らせるべきか迷っていた?)。「失恋の曲」という紹介の後、「cry」へ。去年発表されたベスト盤でようやく音源化された名曲。そして「憲兵も王様も居ない城」。現在のところ配信のみの曲。目の前に座っていた子供が飽き始めているのが分かり、視界の隅でちょっと気になる。知らない曲だったのかな? 次は「good time」。大好きな曲です。後半のサビをCDよりも喉を全開にして歌い上げていた印象。聴き入りました。「輪廻」についての短いMCの後、「Man and Woman」。何度聴いても、素敵なピアノのイントロ。この後、「抱き合いし恋人」「MOON LIGHT BLUES」と、大人な曲が続きます。「MOON LIGHT BLUES」はキーが結構下げられていて、歌い出すまで何の曲か全く分からず。今回のツアーには「40年のありったけ」というサブタイトルがつけられていましたが、この曲がセットリストの中でいちばん古い曲ですね。僕が生まれた年に発表された曲です。次の曲は「not at all」。予想外の選曲。少しうるっと来ました。自分が思っていたよりも好きな曲だったようです。歌詞がそのまま、ASKAの生歌のまま、ぐさりと突き刺さってきました。ASKAも体全体で表現していました。そして「はじまりはいつも雨」。最近また「はーじーまりーは」って歌っていますね、CD通りに。本日、ツアーのはじまりは、本当に雨でした。「いろんな人が歌ってきたように」。名曲が続きます。シンフォニックのときよりは断然声が出ているけど、やっぱり高音はところどころきつそうでした。この曲の後、トイレ休憩がありましたが、休憩後、ASKAに呼ばれて、客席にいた玉置浩二が立ち上がり、ステージ上へ。しばらく二人の会話を聴くという嬉しいサプライズ。

休憩明け1曲目は、「FUKUOKA」。ステージを上手から下手まで歩きながら歌っていました。次は「LOVE SONG」。『12』バージョンですね。この曲のイントロでまたお客さんが立ち上がりました。僕も一緒に立ち上がりました。そしてここからマイナー調の曲が2曲続きます。「リハーサル」「と、いう話さ」。この2曲、かっこよかったです。『Too many people』の中でも際立ってかっこいい2曲ですね。「リハーサル」のアウトロでのクラッシャー木村のバイオリンソロ。膝をついて弾き倒していました。痺れました。そして、「と、いう話さ」のイントロが始まった瞬間の、お客さんの盛り上がり。ざわざわっとした空気。みんな好きなんですね、この曲。サビの後半の「焼き付けられてる」「描いて戻って来る」の辺りがいいですね、八分音符をびしばし叩き付けられている感じが。セットリストに暗めの曲もっとあっても良かったのになと思いました。「ONE」も暗めですけど、『kicks』の曲とか。最近YouTubeに「Now」がアップロードされたのは、何だったんでしょうね? 『alive in live』での「higher ground」~「RED HILL」も良かったですよね。次の曲は、「ロケットの樹の下で」。「not at all」と同じように胸を揺さぶられました。やっぱり歌詞が刺さる曲は、生で聴くといいですよね。サビでは、歌うというより歌詞を撃ち込まれているような気がしました。続く「今がいちばんいい」では、さっきの子供が一緒に万歳をしていて、可愛かったです。この曲は知ってるんだな、なんて思いながら、僕も万歳。それまでちょっぴり目障りでしたが、一気に許しました。コーラスの二人もハンドマイクでステージの前の方に出てきて、会場全体で盛り上がりました。シンフォニックよりバンドの方がいいですね、この曲は。本編ラストは、「歌になりたい」という曲。初めて聴きましたが、いい曲ですね。気に入りました。「no no darlin'」みたいに、コーラスがサビのメインメロディを歌って、ASKAがその隙間を埋めるようにメロディを重ねる曲。ぼんやりとしか覚えていませんが、サビの二つ目のコードが印象的でした。早く音源で聴きたいです。

本編終了後、いつも通りすぐに出てくるASKA&バンドメンバー。ちょっと拍手が少なかったことを突っ込まれました。アンコール1曲目は、ASKAが絶対みんな知ってると言うので「YAH YAH YAH」あたりかな?と思っていたら、西城秀樹の「YOUNG MAN」でした。いろんな世代のお客さんが来ているので、あんまり知らない人もいるのでは?と思いました。僕も、そんなに知らないですよ。まあ確かに、聞いたことないって人はいないでしょうけど。いちばん最後の曲は、「UNI-VERSE」でした。台湾の紅白でも歌っていましたね。

今回、「40年のありったけ」ということでしたが、セットリストを見ると、どちらかと言えば前回のシンフォニックの方がオールタイムベストって感じがしますね。C&Aからは「YAH YAH YAH」「SAY YES」「PRIDE」をやっていますし、ソロからも「同じ時代を」「月が近づけば少しはましだろう」をやっていますし。「Man and Woman」「はじまりはいつも雨」「FUKUOKA」「今がいちばんいい」の4曲は、どちらでもやりましたね。お気に入りなんでしょうね。

欲を言えば、『Black & White』の曲、「Fellows」「London〜38 east end road」「僕であるために」「一度きりの笑顔」あたりが好きなのでやっていただきたかったのですが、今後のコンサートでいつかきっとやってくれることでしょう。

今回、個人的にぐっときた曲は、「good time」「not at all」「と、いう話さ」「ロケットの樹の下で」です。もともと好きな曲ですが、ライブで聴くのはまた格別ですね。

さて、追加公演として日本武道館が発表されてしまいました。どうしましょう。たぶん仕事が忙しい時期なのですが。悩ましいですね。なるようになりますかね。そこに立ってそのときわかることばかりですからね。

35

ついに、折り返しました。折り返したと思います。

自分が70歳で死ぬと思っているわけではありませんが、80歳まで生きている保障もないし、なんとなーく、ぼんやりと、35歳あたりが人生の折り返し地点なのではないかと考えていました。

本日、35歳になりました。四捨五入したら40歳ですね。いい歳です。オトナです。うーむ。大丈夫かな。

何もしなければ必ずや衰えていくであろう肉体、その衰退をなんとか食い止めるべく、昨年の本試験前まで通っていたジムに、昨年末からまた通い始めました。ジム自体は別のところですが。前よりも安くて、24時間やっていて、気軽に行けるところにしました。隙間の時間をうまく使って、今後も継続していきたいと思います。

昨日、税理士会の方が我が家にいらっしゃいました。登録調査というやつです。特に問題なく終わりました、たぶん。来月には、登録通知が届くと思います。いよいよ、税理士になります。僕の人生を二つに分けるとしたら、前半の35年間は税理士でない人生、後半は税理士としての人生ということになりますね。……だからなんだという話でもないのですが。ふと思いついただけです。

そして、4月頃には待望の第一子が誕生します。結婚して9年、いよいよ父親になります。自分になれるのだろうか?とか悩む問題ではないのです。なります。否応なしに。税理士試験が終わったこのタイミングで、我が子が妻のお腹にやってきてくれたことは、本当に、本当に奇跡としか言いようがないことだと思います。もし昨年合格していなかったら、今年は科目合格すら難しかったかもしれないです。本当に良かった。

もうすぐ税理士。もうすぐ父親。平成が終わって、新元号になる2019年、僕も新しい自分になります。「新しい僕元年」でもあるのです。ひどく私事で恐縮ではございますが。とは言っても、私事を書くためのブログですからね、これは、そもそも。

年末年始休暇の最終日でもある今日、僕はこれから始まる人生の後半戦を思い描いています。赤ワインを飲みながら。「僕の人生」は、これからやっと始まるような気がしています。

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「税理士」となられる日

あれから、2週間。

未だにどこか信じられない自分がいます。信じられない、と言うと若干違和感がありますが、なんて言うのでしょう、受け止めきれていない、うまく飲み込めていない、という感じでしょうか。2週間も経って、これが長い長い夢であるなんて、まさか思ってはいませんが。

クリーム色した合格証書をぼんやりと眺めてみると、「右の者第六十八回税理士試験に合格したことを証する」と書かれています。合格したことを、証されている。僕は、本当に合格したんだなあ。本当に。

「合格する日が来ることを信じていたからこそ、ここまでやってきた」

と前回の投稿で書きました。もちろんそれは本心です。紛れもなく。だけど同時に、ここ数年、不合格の年を重ねるごとに、官報合格なんて自分には到底不可能なことであるようにも感じていたのです。心の底から。

そんな明らかに矛盾した感情を抱いていた僕のもとへと突然舞い降りた、官報合格という報せ。暗い暗い部屋の隅から急に明るい場所に引っ張り出されて、瞳孔の調節が間に合わずに、まだ何も見えていないのかもしれません。だからこそ、思っていたほどの喜びや安堵が、今になっても100パーセント感じられずにいるのだと思います。

また、官報合格というものを、もっともっと手の届かない遥か先にあるもの、いつまでも超えることのできない壁のように感じていて、こんなにあっけなく(決してあっけなくはないのですが)終わってしまっていいのか、という気持ちが心のどこかにあります。長い年月を要したし、特に今年は歩けなくなるほど勉強をしたのですが、それでも、この「あっけない」という感覚は、不思議と、でも確実に僕の中にあるのです。

合格発表の日の翌週から、早速僕は税理士登録の申請に向け、資料を集め始めました。必要な書類は山程ありました。仕事の合間を縫って、法務局へ行ったり、本籍地や住所地の役所へ行ったりして、一気に書類を集めました。ほとんど1日で。

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自分で用意すべき書類を一通り揃え、職場で用意してもらうべき書類も一通り揃って、いつでも提出できる状態にはあったのですが、決算が忙しくてなかなか税理士会に行くことができませんでした。提出することができたのは、年内の受付最終日である12月26日。滑り込みセーフです。もしもそこで何かしらの不備があったら、残念ながら翌月の受理となってしまうところでしたが、担当していただいた税理士会の方に「完璧です」とお褒めの言葉をいただき、無事に受理していただけました。

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最後に今後のスケジュールについての説明がありました。そのとき渡された紙には、自分が税理士になる日が記載されていました。

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僕は、あと2か月弱で税理士になります。確定申告の真っ只中に、税理士証票を受け取るみたいです。

本当につい最近まで、毎日毎日終わりの見えない理論暗記を繰り返していたのです。毎週毎週休むことなく日曜日のロングクラスに出席していたのです。そんな日々が、何年も何年も当たり前のように続いていたのです。

僕のこの官報合格に対するもやもやとした気持ちは、税理士登録される日に、税理士証票を手にする日に、やっと晴れ渡ってくれるのかもしれません。そのときになって初めて、素直に喜べるのかもしれません。ああ、解放されたのだと。

官報に名前が載った日

平成30年12月14日の官報に、僕の名前が載っています。号外第277号の18ページ、税理士試験合格者公告の、受験地東京都の欄に。

こんな日が来ることを、もちろん信じていたからこそここまでやってきたわけですが、いざ現実となると、どう受け止めればいいのか、どう向き合えばいいのか、なんとも言えない気持ちです。嬉しいことは嬉しいんですが、5年前の消費税法合格のときの方が、ストレートに喜びが大きかったような気がするのは、なぜでしょう。事が大きすぎて、喜びも安堵も、だいぶ遅れてやってくるのでしょうか。

合格発表の日の前日から、僕の心臓は凄まじいBPMで鼓動を打ち続け、夜もあまり眠れませんでした。おかしなことに、本試験の前日よりも緊張していました。合格発表の前日と当日の2日間で、1週間分くらいの鼓動を打ってしまったかもしれません。寿命が縮まりました。

今年は、官報合格の可能性がある初めての年でした。自分の中では、半々とまではいかないけれど、4割くらいの確率で受かっているのではないかと、そう思っていました。十代の頃ろくに勉強をしていなかったので、こんなにドキドキしながら合格発表というものを待ったのは、生まれて初めてのことかもしれません。

そして14日当日。職場のPCで、インターネット版官報のページを開きました。「本日の官報」の日付は、まだ12月13日。そりゃそうです、だってまだ7時半ですから。画面を開きながら、誰もいない職場でひとり、年末調整の仕事を始めました。ときどき画面をリロードしながら。

8時半を少し過ぎたくらいでしょうか。リロードしてみると、「本日の官報」の日付は14日になっていました。僕の鼓動はもはやツーバスを踏まれたかのように高鳴っていました。

今更、結果は変わらない。変えられない。黙って受け入れるしかない。法人は、きっと大丈夫だと思う。固定は、駄目かもしれない。駄目でも、法人さえ受かっていれば1科目に専念できるわけだし、何としてでも来年合格しよう。法人も駄目だったら……。

そんなことを考えていたような、考えていなかったような。はっきりと覚えていませんが、気付けば、税理士試験合格者公告のページを開いていました。心臓が胸の皮膚を突き破って飛び出しそうです。全身ガチガチで、肩がこって痛いです。どうして今になって、本試験の何倍も緊張しているんだ僕は。

受験地は、東京都。だから次のページ。受験番号は、頭に入ってる。受験票が届いた日からずっと。画面を指でなぞりながら、上から注意深く見ていく。フライング気味で願書を出したからか、わりと若い番号だ。あ、自分の番号のひとつ前の番号だ。その下には……。

ない。

なかった!

悔しいけど、仕方ない。今日から早速勉強を再開しよう。残念。無念。

受験番号の全然違う自分と似た名前を発見して少しぴくっとなったり、官報リーチの同じ職場の人の名前を探してみたり、そんなふうにしてぼんやり画面を眺めていると、あることに気がつくのです。

あれ、これは、1列ずつではなく、2列ずつ並んでいるではないかと。番号は、単純に上から下へ並んでいるのではなく、左から右、左下、その右、その左下……という感じで、ジグザグに並んでいたのです。昨日から正気の沙汰ではない僕は、そんな簡単な法則に気がつくのに時間を要してしまいました。

さっきの自分のひとつ前の番号のすぐ右に、ありました、僕の受験番号と、名前が。

うわあ……、載ってる。

その頃には数人出社してきていましたが、近くの席には誰もいませんでした。画面の前で数秒フリーズした後、無意味にキョロキョロして、誰かに声をかけたいような、だけど声をかけずにもう一度画面を見て、やっぱりそこには僕の名前があって、ああ、合格したんだと、終わったんだと、それ以外何も考えられず、しばらく放心状態でした。そして、はっと、妻に連絡しなきゃと、携帯を持って外に飛び出しました。

実感はまるでなかったのですが、喜んでくれる妻の声を聞いているうちに、僕も嬉しくなって、興奮してきました。

自分の席に戻って、また画面に映る僕の名前を確認しました。夢みたい。嘘みたい。胸の高鳴りは、なかなか収まってくれませんでした。手のひらの汗は粒になって結露のようでした。

2011年1月から税理士試験の勉強を始め、合格まで8年かかりました。思い返せば、いろんなことがありました。試験当日に高熱。試験直前に腰痛で歩行不能。4年連続不合格。だけど、諦めようとは一度も思いませんでした。きっと、今年受からなくても、受かるまで受け続けたと思います。いつかきっと受かるだろうというまったく根拠のない自信と、周りの方の応援と協力で、ここまで来ることができました。ありがとうございました。

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税理士試験に殺される

だいぶご無沙汰しております。

今年も、税理士試験が終わりました。受験された皆様、1年間お疲れ様でした。

ここでは昨年の試験結果について何も報告していませんでしたが、何も報告しないということは、まあそういうことです。予想通り、だめだったです。

今年の受験科目は法人と固定。法人は4回目、固定は初です。

昨年結果的に記念受験となってしまった国徴を捨て、新たに今年の1月から始めた固定。

初めての科目だし、できれば生の講義を受けたかったのですが、法人の方で昨年の本試験後の9月から既に通学していて(年内上級演習コース)、固定も通学にすると仕事をしながらだとなかなかきつい、あと講義の時間帯も被っている、ということで、固定はWEBにしました。

できるだけ配信日に視聴して、答練は毎回提出するようにしました。計算の解答用紙が理論と同様ただの罫線しかないというのが新鮮で、自分の好きなように書けて、そんなところが自分に合っていたのか、わりと楽しく勉強を進められました。科目選択のときにはいろいろと悩みましたが、国徴から科目変更してよかったなと思いました。

春頃だったでしょうか、妻が突然、漢方合格を果たしました。「薬膳・漢方検定」というのがありまして、その検定試験にかなりの高得点で合格したのです。早く自分も合格しなければと、強く感じました。

激務の確定申告の季節が終わり、3月決算法人の申告(5月、6月)もなんとか終わり、そんな中でも法人はほぼ毎週日曜日にT新宿校で朝から夕方まで、固定は自宅で、時には電車やスタバなどでWEBの講義を見て、勉強を続けてきました。

6月のTの全国公開模試では、法人はS、固定はAという評価でした。法人は何度も受験していますが、お恥ずかしながらSをいただいたのは初めてのことだったので、今年はもしかしたら可能性があるんじゃないかと感激し、その成績表の紙を本試験までずっとiPhoneの待受画面にしておりました。見るたび、勇気をもらえるように。あ、今もまだそうですね。早く変えないと。

お隣の学校(O)の全統も受けてみたり、Tの直前のオプション講座をすべて申し込んでみたりと、今年は例年よりも気合を入れてフルスロットルで全速力で駆け抜けていた7月。理マスがいくつかに引きちぎれ、セロハンテープで補強しつつ暗記を続けました。こんなに理マスが傷んだのは初めてです。これまで、法人の理論って大して暗記していませんでした。今思うと。

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海の日を含む三連休がありましたね。当然毎日机に向かって勉強しました。そうしたら、少し腰が痛くなったのです。かがむと痛むかなってくらい。まあそりゃなるよな、くらいにしかそのときは考えていなかったのですが、三連休が明けてから、平日仕事をしていて、日に日にその痛みは増していく一方でした。またこの頃から、夏風邪でしょうか、咳と微熱が出始めました。普段ほとんど風邪なんて引かないのに、だいぶ弱っていたんですね。

そして、それから何日か経ったある日、突然立ち上がれなくなりました。

 仕方がないので仕事はお休みして、家で突っ伏していました。トイレにも四つん這いか匍匐前進で、数分、数十分かけて行くような有様でした。もちろん勉強はお休み。横になって理論暗記をしようとしても、痛すぎてそれどころでなく、ここへ来てなんでこんなことに……と、それはそれはなかなかのヘヴィーな絶望感でした。

身動きが取れないので、藁にもすがる思いで(というと失礼ですが)、鍼灸師の先生に家まで来てもらいました。インターホンが鳴っても、オートロックの開錠ボタンを押すところまでたどり着けず(2メートルくらいの距離のところで横になっていたのですが、まったく動けませんでした)、偶然マンションの住人が出てきたところを不審者のようにこっそり入ってきていただいて、なんとか我が家までお越しいただきました。管理人さんに怪しまれたそうです。申し訳なかったです。

1時間ほど、鍼を打ってもらったり、マッサージをしてもらいました。腰痛は、寝不足が原因だったり、心因性の場合もある、というお話をされていました。確かにこのところろくに寝ていませんでした。体に負担をかけすぎていたみたいです。無理をさせすぎていた。それで体が怒って、腰を攻撃して、強制的に動けなくさせた、というようなことを仰っていました。なるほど、面白い。

「試験勉強が向いていないんですねー」とも言われ、心にまでぐさりと針を刺されました。

施術が終わり先生が帰られた後も、言われた通り安静にしていました。1時間くらい経って、少しだけでも良くなっていれば、せめてゆっくりでも歩けるようになればいいなという希望を抱き、体を起こそうとして、僕は驚愕しました。

なにひとつ、変わっていなかったのです。

混乱と悲しみで、僕は叫び出しそうでした。いや、もうすでに、痛みが走る都度よく叫んでいました。近隣住民に警察を呼ばれるんじゃないかと、ひやひやしながら。そして、意外と心に刺された針の痛みも強く、何日か引きずりました。「試験勉強が向いていないんですねー」

その後、無愛想な整骨院、高額なカイロプラクティックなどを転々として、症状は少し良くなったり、また最大級に悪くなったりを繰り返していました。せっかく申し込んだTのオプション講座に行けなかったのが悔しかったです。後日問題だけ取りに行きましたが。

痛みが完全になくなったのは、本試験の3日前くらいのことでした。まだ咳と微熱は続いていましたが(本試験当日もげほげほ咳き込んでいました)、腰の痛みがなくなったことは本当にうれしかったです。一時は、本試験で2時間座っていられないんじゃないか、下手したら本試験会場までもたどり着けないんじゃないかと危惧していたくらいなので。

(そういえば、3年前の本試験は、40度の熱が出たままでぶるぶる震えながら本試験会場にいました。思い返してみると、僕は税理士試験を命がけで受け続けているようです。)

 本試験当日。咳と微熱がまだあったので、最高のコンディション、というわけにはいきませんでしたが、それでも普段の力を出すことはできたと思います。

法人に関しては、まず計算から手を付けたのですが、なかなか個性的な問題でした。なんだか最近、普通の問題って全然出ませんね。最初の役員給与で大幅に時間をつかってしまい、焦りつつ残りの計算を片付け、理論に戻ってきたら、おや、全体的に意外と書けそうな論点、問1も問2も超Aランク、去年とは大違い(去年はCランク連発)、いいねいいねーと、焦りをかき消すために怪しげににやにやしながら理論を書き進めました。理論を書き終え、最後に全体を見直したときに、計算でひとつ修正しようとしたところがあるのですが、悩んだ結果、やっぱりそのままにしておきました。(結果的に、そこは修正しないままでよかったみたいです。こんなことのひとつで、合否が分かれるんですよね、いつも。)

固定に関しては、こちらもまず計算から手を付けました。固定は計算の最終値を出さないといけないので、必ず計算からやります。絶対に最終値を合わせるぞと、かなり慎重に、金額の転記ミスや電卓ミスに注意しながら進めました。指さし確認をしながら。計算が終わったら、80分経過していました。時間をかけすぎたかと思いましたが、周りではまだ電卓の音がしていたので、ボリュームの多い計算問題だったんだと思います。理論は、問1は簡単でしたが、問2は時間があまり残っていない中で何を書いていいのかよくわからず、数行書いて終了。

もう少しなんとかなったかもしれないなという思いも若干ありましたが、働きながら、体を壊しながら2科目同時に勉強をして、自分なりに限界までやってきた結果だと思います。今持っている力は出し切りました。燃え尽きました。灰になりました。試験の日の午後は家で寝ているような寝ていないような生きているような生きていないような状態で、からっぽになって過ごしました。日が暮れていくのをぼんやり眺めていました。

これまででいちばん、解答を確認したくないなという思いが強かったです。死に物狂いでやってきた勉強が一気に無になるのが怖かったんだと思います。

一夜明け、少し元気が出たのでしょうか。やっぱり気になって、TとOの解答速報が続々WEBに上がってきていたので、仕事中にちらっと確認しました(昨日のことですね)。

そして今日、朝から本試験問題を一から解き直してみて、解答を復元して、自己採点してみました。

自分で△としたところは点数に含めず厳しめに採点をした結果、法人は、Tはボーダーと合格確実の間(若干ボーダー寄り)、Oはちょうど合格確実ラインでした。もっとひどい結果を予想していました。決して安心できるような点ではありませんが、これまで4回受験した中では、いちばん期待できそうです。可能性を信じて、冬を待ちます。

一方固定は、Tはボーダーを若干下回り、Oはちょうどボーダーでした。理論の問2を少しでも得点できていれば、ボーダーは上回れました。が、仕方ないですね。悔いはないです。計算で満点を取れたはずなので、固定に向いていないということはなさそうです。

さて、今日からお盆休みですが、早くこの夏風邪らしきものを治さないといけないですね。本試験後はぼーっとしていることに罪悪感を覚えて、常にそわそわしてしまいますが、休むときは休まないといけないですね。しっかりと、意識して。

そして今回何より思ったのは、早く税理士試験を終わらせないと、いつか死んでしまうな、ということです。7月あたりに。

税理士試験に殺されてしまう。

迷走の果て

先日「完結」を発表したチャットモンチーの曲に、「three sheep」という曲がありまして、その歌い出しが、

新しいノート開くのが好きでね

何書こうかな 真っ白なページにって

というものなんですが、この2行の歌詞がとても好きです。なぜなら私もそうだからです。特に新しい手帳を開くのがとても好きです。

今年もまた新しい手帳に悩む季節がやってまいりました。何年かずっと同じ手帳を、仕事とプライベートを分けずに使ってきたのですが、昨年から仕事用にシステム手帳を使い始めまして、プライベート用には能率手帳を使っていたのでした。シンプルな見た目に惹かれて。

しかし、ずっとそれまでバーチカルの手帳を使っていたからか、どうも僕にはレフト式がうまく使いこなせなかったのです。残念ながら。

それで、来年はまたバーチカルに戻そうと思いました。そのとき、ふと思い浮かんだのが、ジブン手帳。毎年手帳売り場でその存在が気になりつつも、ちょっと派手だという理由と、サイズが大きいという理由で、購入には至りませんでした。

昨年、色が大人しめなジブン手帳Bizというのが登場しました。少し心が動きましたが、やはり持ち運ぶにはサイズが大きすぎると思い、購入には至らず。そうしたらなんと、今年そのBizにminiサイズが登場したのです。

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買わない理由がなくなってしまいました。一緒に、僕がジブン手帳に惹かれていた理由のひとつである「LIFE」(自分の一生を記録できる)と、公式ガイドブックも購入しました。

早速「本リスト」のページに、買ったけどまだ読んでいない本を書き出しました。きっと読まないまま忘れてしまったかもしれないなという本が何冊かありました。ジブン手帳を買ってよかったと心から思いました。

後日、ジブン手帳専用のインデックスも買いました。それをスターバックスでうきうきしながら貼っていたら、このインデックス、なかなか粘着力が凄まじくて、誤ってページのど真ん中に少しだけくっついてしまい、それを剥がしたら、びりびりって紙ごと剥がれてしまったのです。

スターバックスにて、その破れた紙面を凝視したまま僕は少しの間固まっていました。そのとき、ジブン手帳に対する熱がサーッと嘘みたいに冷めていくのがわかりました。

そして、僕はジブン手帳を使わないことに決めたのです。

もうひとつ、ずっと気になっていた手帳がありました。NOLTYのリスティ1という手帳です。こちらもジブン手帳と同じくバーチカルで方眼。そのためか、この二つの手帳が比較されているのをよく見ます。

店頭にはあまりなくて、たまに見つけても渋い感じの黒しかありませんでしたが、amazon限定でキャメルがあると知り、それを購入しました。

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ジブン手帳に比べ、内容は至ってシンプル。年と月と週とメモのページのみ。

マンスリーページをすぐに開けるように、チラットINDEXを貼ってみました。

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本のリストは最後のメモページに自分で線を引いて書こうと決めました。ジブン手帳ガントチャートに書こうと思っていたことも、同じように線を引いて書こうと決めました。もう、2018年はリスティ1で行くものだと思っていました。ばっちりINDEXまで貼ったし。

それなのに。

ご覧ください。

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いちばん右にあるのは。そうです、ジブン手帳miniのファーストキットです。「DIARY」と「LIFE」と「IDEA」がセットになっているものです。あれほど嫌がっていた、派手なやつです。昨日、東急ハンズにて購入いたしました。

リスティ1は大きすぎて(A5スリム)いつも休日に使っているバッグに入らなかったのです。あと、ジブン手帳にあらかじめ用意されているいろんなページが魅力的だったのと、やっぱり「LIFE」を使いたいという理由もありました。落ち着いた色のBizにしなかったのは、なぜでしょう。恐らく、また同じものを買い直したくなかったからというのと、あとは「LIFE」を持ち歩くなら、やっぱりスタンダードの方が収まりがいいかなと思ったからでしょう。

以上が、私の2018年の手帳にまつわる迷走の記録です。なんとか2018年に間に合いました。これで終わるといいのですが。

この派手な手帳みたいな、楽しい1年にしたいと思っております。